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2014年センター試験 漢文 現代語訳

5月 28, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。



訳:蓬田(よもぎた)修一

2014年センター試験 漢文

江南多竹。 
其人習於食筍。 
毎方春時、苞甲出土、頭角繭栗、率以供採食。
或蒸瀹以為湯、茹介茶荈以充饋。
好事者目以清嗜不靳方長。
故雖園林豊美、複垣重扃、主人居嘗愛護、及其甘於食之也、剪伐不顧。
独其味苦而不入食品者、筍常全。
毎当渓谷巌陸之間、散漫於地而不収者、必棄於苦者也。
而甘者至取之或尽其類。
然甘者近自戕。
而苦者雖棄、猶免於剪伐。
夫物類尚甘、而苦者得全。
世莫不貴取賤棄也。
然亦知取者之不幸、而偶幸於棄者。
豈荘子所謂以無用為用者比耶。

陸樹声 陸文定公集

<書き下し>

江南(かうなん)に竹(たけ)多し。
其の人筍(たけのこ)を食らふを習(なら)ひとす。
春の時に方(あ)たる毎(ごと)に、苞甲(ほうかふ)土(つち)より出で、頭角(とうかく)繭栗(けんりつ)、率(おほむ)ね以て採食に供(きよう)す。
或いは蒸瀹(じようやく)して以て湯(たう)と為し、茄介(じよかい)茶荈(ちやせん)以て饋(き)に充(あ)つ。
事を好む者目(もく)するに清嗜(せいし)を以てし方(まさ)に長ずるを靳(と)らず。
故に園林(えんりん)豊美(ほうび)、複垣(ふくゑん)重扃(ちょうけい)にして、主人居嘗(きよしやう)愛護(あいご)すと雖も、其の之を食らふに甘(うま)しとするに及ぶや、剪伐(せんばつ)して顧みず。
独(ひと)り其の味苦くして食品に入らざるもの者のみ、筍常に全(まった)し。
毎(つね)に渓谷(けいこく)巌陸(がんりく)の間(かん)に当たりて、地に散漫して収(をさ)められざる者は、必ず苦きに棄てらるる者なり。
而るに甘(うま)き者は之を取りて或いは其の類を尽くすに至る。
然(しか)らば甘き者は自(みづか)ら戕(そこな)ふに近し。
而るに苦き者は棄てらると雖も、猶ほ剪伐を免るるがごとし。
夫(そ)れ物類(ぶつるい)は甘きを尚(たつと)ぶも、苦き者は全きを得たり。
世に貴(き)は取られ、賤(せん)は棄てられざるは莫(な)し。
然れども亦た取らるる者の幸(さいは)ひならずして、偶(たまたま)棄てらるる者に幸ひなるを知る。
豈に荘子の所謂(いはゆる)無用を以(もつ)て用と為す者の比(たぐ)ひなるか。

陸樹声(りくじゆせい) 陸文定公集(りくぶんていこうしゆう)

<現代語訳>

江南地方は竹が多い。
其の(土地の)人たちはタケノコを食べるのを習慣としている。
毎年、春の季節になるとタケノコの身を包む皮が土から出てきて、生えてきたばかりの子牛の角のような小さなタケノコの若芽を皆、採って食べている。
あるものは蒸したり煮たりしてスープとし、穂先の柔らかい皮やお茶を食卓に並べて食事する。
風流を好む人は(タケノコを見るにも)清雅なものへの嗜好から、成長しているタケノコは採らない。
そのため、美しい庭園をつくり、幾重もの垣根や門扉をしつらえ、主人は普段から大切にしていても、タケノコが食べ頃になると、かまわずに切ってしまう。
ただ、味が苦くて食べ物として適さないものだけが、タケノコとして(身を)まっとうする。
常に渓谷や山の中にあり、地面一面に散らばって生えていて、人に採られることがないタケノコは、いつも苦いものとして見向きもされない。
しかし、うまいタケノコにあっては、人はこれを採って、たいがいは採り尽くしてしまうことになる。
そうであるなら、うまいタケノコというのは自分で自分を殺しているのに近い。
しかし、苦いタケノコは見向きもされないとはいえ、(それは)ちょうど切り取られずに済んだのと同じようなものだ。
そもそも、物というのはうまい物が尊重されるが、(その一方で)苦い物は身をまっとうできる。
世の中を見ると、貴いものは取られ、賤しいものは放っておかれる。
しかし、取られる者が幸せでなく、たまたま見捨てられる物が幸せということも知られている。
荘子(が説くところ)のいわゆる「無用を以て用と為す」のたぐいではなかろうか。



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