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十八史略 「出師表 」 現代語訳

8月 2, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。

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訳:蓬田(よもぎた)修一

<現代語訳>

出師(すいし)の表
諸葛亮

漢の丞相(じょうしょう)亮が諸軍を率いて魏を攻撃することになった。
出発にのぞんで、天子に文書(=出師の表)を奉り、こう申し上げた。
「今、天下は三分し、わが益州は最も疲弊しております。
まさに危急存亡のときであります。
陛下におかれましては、よく臣下の言葉をお聞きになり、忠義にもとづく諫言には、どうか道を閉ざされませぬようなされませ。
宮廷(にいる陛下の近臣)と丞相府(に残る亮の部下)とは一体であります。
善を賞し悪を罰することにおいては、(宮廷と丞相府とで)違いがあってはなりません。
もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者には、役人に命じて、刑罰や褒賞を決めさせ、公平正明な政治を天下に明らかにされるのがよろしいでしょう。
賢臣に親しく接し小人を遠ざけたことが前漢の興隆した原因でありますし、小人に親しく接し賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が国を傾け衰退した原因であります。
私はもと無位無冠の平民で、南陽において田を耕し、この乱世にあっては命をまっとうできればいいと、諸侯に仕えての名誉栄達を求めてきませんでした。先帝は私が卑しい身分であるにもかかわらず、わざわざ高貴な身をお曲げになり、そまつな私の家を三度も訪れになり、当時の政治・社会的な情勢とそれへの対策についてお尋ねになりました。
これがために感激し、先帝のために身を捧げ奔走することになったのです。
先帝は私がつつしみ深いことをお知りになり、ご臨終の際、私に国家の大事を託されました。
遺命を受けてよりこのかた、朝早くから夜遅くまで心を砕き、お頼みされたことに応えられず、先帝の聖明を傷つけることがないかと恐れておりました。
それ故、五月に瀘水(ろすい)を渡って、野蛮な(南方の)未開の土地に深く入っていったのです。
今、南方はすでに平定され、兵隊と武器はすでに十分に準備されました。
陛下の軍隊を励まし率いて、北のかた中原を平定すべきであります。
漢の王室を復興し、昔の都に戻ることは、先帝に報いて、陛下に忠誠を尽くす務めであります。」
こうして(兵を進め)漢中に駐屯した。
(十八史略)

<書き下し>

出師(すいし)の表
諸葛亮

漢の丞相(じようしよう)亮(りやう)、諸軍を率いて、北のかた魏を伐つ。
発するに臨んで、上疏(じやうそ)して曰く、
「今、天下三分し、益州(えきしう)疲弊(ひえい)せり。
此れ危急存亡(ききふそんばう)の秋(とき)なり。
宜(よろ)しく聖聴(せいちやう)を開帳すべく、宜しく忠諌(ちゆうかん)の路(みち)を塞(ふさ)ぐべからず。
宮中(きゆうちゆう)・府中は倶(とも)に一体たり。
臧否(ざうひ)を陟罰(ちよくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。
若(も)し、姦(かん)を作(な)し、科(くわ)を犯し、及び忠善(ちゆうぜん)の者有らば、宜しく有司(いうし)に付して、その刑賞(けいしやう)を論じ、以って平明(へいめい)の治(ち)を昭(あきら)かにすべし。
賢臣(けんしん)を親しみ、小人(せいじん)を遠ざくるは、此れ先漢(せんかん)の興隆せし所以(ゆゑん)なり。
小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢(こうかん)の傾頽(けいたい)せし所以なり。

臣、本(もと)布衣(ふい)、南陽に躬畊(きゆうこう)し、性命を乱世に苟全(こうぜん)して、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。
先帝、臣が卑鄙(ひひ)なるを以ってせず、猥(みだ)りに自(みづか)ら枉屈(わうくつ)して、臣を草廬(さうろ)の中に三顧し、臣に諮(と)うに当世(たうせい)の事を以ってす。
是(これ)に由(よ)って感激し、先帝に許すに駆馳(くち)を以ってす。
先帝、臣の謹慎(きんしん)なるを知り、崩ずるに臨み、寄するに大事(だいじ)を以ってせり。
命を受けてより以来、夙夜(しゆくや)憂懼(いうく)し、付託(ふたく)の效(かう)あらずして、以て先帝の明を傷(そこな)はんことを恐る。
故に五月、瀘(ろ)を渡り、深く不毛に入る。
今、南方、已に定まり、兵甲(へいかふ)已に足る。
当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)して、北のかた中原を定むべし。
漢室を興復し、旧都を還(かえ)さんことは、此れ臣が先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり。」と。
遂に漢中に屯(たむろ)す。
(十八史略)

<漢文>

出師表
諸葛亮

漢丞相亮、率諸軍北伐魏。
臨發上疏曰、
「今天下三分、益州疲弊。
此危急存亡之秋也。
宜開張聖聽、不宜塞忠諌之路。
宮中・府中、倶爲一體。陟罰臧否、不宜異同。
若有作姦犯科及忠善者、宜付有司論其刑賞、以昭平明之治。
親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。

臣本布衣、躬畊南陽、苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯。
先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣於草廬之中、諮臣以當世之事。
由是感激、許先帝以驅馳。
先帝知臣謹慎、臨崩、寄以大事。
受命以來、夙夜憂懼、恐付託不效、以傷先帝之明。
故五月渡瀘、深入不毛。
今南方已定、兵甲已足。
当奬率三軍、北定中原。
興復漢室、還于舊都、此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。」
遂屯漢中。



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