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史記 「俛出袴下」 現代語訳

9月 12, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。



訳:蓬田(よもぎた)修一

<現代語訳>

腹ばいになり、股の下から出る
史記

淮陰侯(わいいんこう)韓信(かんしん)は、淮陰の人である。
かつて、庶民だった頃、貧乏で行いが悪く、役人に推薦してもらうことができなかった。
また、商売で生計を立てることもできなかった。
いつも誰かにも食べさせてもらっていた。
韓信を嫌う人は多かった。
以前、しばしば淮陰に属する郷の南昌(なんしょう)の亭長の家に居候していた。
数か月すると、亭長の妻は韓信の面倒を見ることが苦痛に思うようになり,朝、ご飯を炊くと寝床の中で食事をとるようになった。
食事の時間に韓信が行っても、彼のために食事の用意をしなくなった。
韓信もその意味を理解し、腹を立ててとうとう交際を絶って出て行ってしまった。

韓信が町はずれで釣をしていた。
年配の女性たちが、布を水で洗ってさらしていた。
ひとりの女性が、おなかをすかせている韓信を見て、彼にご飯を食べさせた。
布をさらす仕事は、終わるまで数十日かかった。
韓信は喜び、さらし仕事をしている女性にこう言った。
「俺は必ずおばさんに厚くお返しをしよう。」
女性は怒って言った。
「立派な男が自分ひとりを食わせることもできていません。
私はあなた様を哀れんで食事をすすめたのです。
どうしてお返しなど期待しましょう(お返しの期待などしていません)。」

淮陰の屠殺場で働く若者に、韓信を侮る者がいて、こう言った。
「お前は大きな図体で、いつも刀剣を身に付けているが、臆病者に決まっている。」
(さらに)大勢の人の前で、韓信を侮辱してこう言った。
「韓信、殺す気があれば、俺を刺してみろ。
殺すことができないなら、俺の股の下をくぐれ。」
そこで韓信は彼をじっと見て、腹ばいになり(彼の)股の下からはいつくばって出た。
町中の人たちはみな韓信のことを笑って、臆病者だとした。
(史記 淮陰侯列伝)


<書き下し>

俛(ふ)して袴下(こか)より出(い)づ
史記

淮陰侯(わいいんこう)韓信(かんしん)は、淮陰の人なり。
始め布衣(ふい)為(た)りし時、貧しくして行ひ無く、推択せられて吏と為(な)るを得ず。
又生を治めて商賈(しやうこ)する能(あた)はず。
常に人に従ひて食飲を寄す。
人之を厭(いと)ふ者多し。
常(かつ)て数(しばしば)其の下郷の南昌(なんしやう)の亭長に従ひ寄食す。
数月にして、亭長の妻之を患(うれ)へ,乃(すなは)ち晨(あした)に炊(かし)ぎて蓐食(じょくしょく)す。
食時に信往(ゆ)けども、為(ため)に食を具へず。
信も亦(また)其の意を知り、怒りて竟(つひ)に絶ちて去る。

信城下に釣る。
諸母漂す。
一母有り信の飢ゑたるを見て、信に飯す。
漂を竟(を)ふるまで数十日なり。
信喜び、漂母に謂ひて曰はく、
「吾(われ)必ず以(も)つて重く母に報ゆる有らん。」と。
母怒りて曰はく、
「大丈夫(だいぢやうふ)自ら食(やしな)ふ能はず。
吾王孫を哀れみて食を進む。
豈(あ)に報いを望まんや。」と。

淮陰の屠中(とちう)の少年に信を侮る者有り。
曰はく、
「若(なんぢ)は長大にして好みて刀剣を帶ぶと雖(いへど)も、中情は怯(けふ)なるのみ。」と。
之を衆辱して曰はく、
「信能(よ)く死(ころ)さば、我を刺せ。
死す能はずんば、我が袴下より出でよ。」と。
是(ここ)に於(お)いて信之を孰視(じゆくし)し、俛して袴下より出で蒲伏(ほふく)す。
一市の人皆信を笑ひ、以つて怯と為す。
(史記 淮陰侯列伝)

<漢文>

俛出袴下
史記

淮陰侯韓信者、淮陰人也。
始為布衣時、貧無行、不得推択為吏。
又不能治生商賈。
常従人寄食飲。
人多厭之者。
常数従其下郷南昌亭長寄食。
数月、亭長妻患之,乃晨炊蓐食。
食時信往、不為具食。
信亦知其意、怒竟絶去。

信釣於城下。
諸母漂。
有一母見信飢、飯信。
竟漂数十日。
信喜、謂漂母曰、
「吾必有以重報母。」
母怒曰、
「大丈夫不能自食。
吾哀王孫而進食。
豈望報乎。」

淮陰屠中少年有侮信者。
曰、
「若雖長大好帶刀剣、中情怯耳。」
衆辱之曰、
「信能死、刺我。
不能死、出我袴下。」
於是信孰視之、俛出袴下蒲伏。
一市人皆笑信、以為怯。
(史記 淮陰侯列伝)


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