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史記 「吾所以有天下者何」 現代語訳

10月 1, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。

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訳:蓬田(よもぎた)修一

<現代語訳>

史記 わしが天下を取った理由は何か

高祖は洛陽(らくよう)の南宮(なんきゅう)で酒宴を開いた。
高祖は(宴席の諸将たちに)言った。
「諸侯・大将たちよ、わしに隠し立てをせずに、ありのままを言ってみよ。
わしが天下を取った理由は何か。
項氏が天下を失った理由は何か。」

高起と王陵が答えて言った。
「陛下は傲慢で人をばかにしますが、項羽は情け深く人をいつくしみました。
しかし、陛下は人々に城や土地を攻略させ、降伏した地域は、そのために(その功績に応じて)その人に与えました。
天下の人々と利益を同じくされたのです。
項羽は賢者を妬んで能力があるものを憎み、功績がある者はこれを害し、賢者はこれを疑いました。
戦に勝ってもその人に功績を与えず、土地を得ても他人に利益を与えませんでした。
これが天下を失った理由です。」

高祖は言った。
「貴公たちは一面は分かっているが、もうひとつの側面は分かっていない。
戦略を本陣の幕の中でめぐらし、勝利を千里の外に決することでは、わしは子房に及ばない。
国家を安定させて人民をいつくしみ、食糧を与え、その補給を絶やさないことでは、わしは蕭何に及ばない。
百万の軍を率い、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取ることでは、わしは韓信に及ばない。
この三人はみな特に優れた人物である。
わしはこの三人をよく用いた。
これが、わしが天下を取った理由である。
項羽にはただ一人の范増がいたが、(その范増さえも)用いることはできなかった。
これが、項羽がわしのとりことなった理由である。」
(高祖本紀)


<書き下し>

史記 吾(われ)の天下を有(たも)ちし所以(ゆゑん)の者は何ぞや

高祖雒陽(らくやう)の南宮(なんきゆう)に置酒(ちしゆ)す。
高祖曰はく、
「列侯諸将、敢(あ)へて朕(われ)に隠すこと無く皆其の情(じやう)を言へ。
吾(われ)の天下を有(たも)ちし所以(ゆゑん)の者は何ぞや。
項氏の天下を失ひし所以の者は何ぞや。」と。

高起(かうき)・王陵(わうりよう)対(こた)へて曰はく、
「陛下は慢(まん)にして人を侮(あなど)り、項羽は仁にして人を愛す。
然れども陛下は人をして城を攻め地を略(りやく)せしめ、降下(かうか)する所の者は、因(よ)りて以つて之に予(あた)ふ。
天下と利を同じくするなり。
項羽は賢(けん)を妒(ねた)み能を嫉(にく)み、功有る者は之を害し、賢者は之を疑ふ。
戦ひ勝ちて人に功を予へず、地を得て人に利を予へず。
此れ天下を失ひし所以なり」と。

高祖曰はく、
「公は其の一を知りて、未だ其の二を知らず。
夫れ籌策(ちうさく)を帷帳(ゐちやう)の中(うち)に運(めぐ)らし、勝ちを千里の外に決するは、吾子房(しばう)に如(し)かず。
国家を鎮め百姓(ひやくせい)を撫(ぶ)し、餽饟(きじやう)を給し糧道(りやうだう)を絶たざるは、吾蕭何(せうか)に如かず。
百万の軍を連ね、戦へば必ず勝ち、攻むれば必ず取るは、吾韓信(かんしん)に如かず。
此の三者は皆人傑(じんけつ)なり。
吾能く之を用ゐる。
此れ吾の天下を取りし所以なり。
項羽は一(いつ)の范増(はんぞう)有れども用ゐること能はず。
此れ其の我が擒(とりこ)と為(な)りし所以なり」と。
(高祖本紀)

<漢文>

史記 吾所以有天下者何

高祖置酒雒陽南宮。
高祖曰、
「列侯諸将、無敢隠朕皆言其情。
吾所以有天下者何。
項氏之所以失天下者何。」

高起・王陵対曰、
「陛下慢而侮人、項羽仁而愛人。
然陛下使人攻城略地、所降下者、因以予之。
与天下同利也。
項羽妒賢嫉能、有功者害之、賢者疑之。
戦勝而不予人功、得地而不予人利。
此所以失天下也。」

高祖曰、
「公知其一、未知其二。
夫運籌策帷帳之中、決勝於千里之外、吾不如子房。
鎮国家撫百姓給餽饟不絶糧道、吾不如蕭何。
連百万之軍戦必勝、攻必取、吾不如韓信。
此三者皆人傑也。
吾能用之。
此吾所以取天下也。
項羽有范増而不能用。
此其所以為我擒也。」
(高祖本紀)


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