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漢詩 「兵車行」 現代語訳

2月 9, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。

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訳:蓬田(よもぎた)修一

<漢文>

兵車行 杜甫

車轔轔 馬蕭蕭 
行人弓箭各在腰
耶娘妻子走相送
塵埃不見咸陽橋
牽衣頓足攔道哭
哭声直上干雲霄
道傍過者問行人
行人但云点行頻
或従十五北防河
便至四十西営田
去時里正与裹頭
帰来頭白還戍辺
辺庭流血成海水
武皇開辺意未已
君不聞
漢家山東二百州
千村万落生荊杞
縦有健婦把鋤犂
禾生隴畝無東西
況復秦兵耐苦戦
被駆不異犬与鶏
長者雖有問
役夫敢申恨
且如今年冬
未休関西卒
県官急索租
租税従何出
信知生男悪
反是生女好
生女猶得嫁比隣
生男埋没随百草
君不見 青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩寃旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾
(唐詩三百首)

<書き下し>

兵車行 杜甫

車轔轔(りんりん) 馬蕭蕭(せうせう) 
行人の弓箭(きゆうせん) 各(おのおの)腰に在(あ)り
耶娘(やじょう)妻子 走りて相送る
塵埃(ぢんあい)に見えず 咸陽橋(かんやうけう)
衣を牽(ひ)き足を頓し 道を攔(さへぎ)りて哭(こく)す
哭声直(ただ)ちに上りて 雲霄(うんせう)を干(をか)す
道傍に過ぐる者 行人に問へば
行人但(た)だ云(い)ふ 点行頻(しきり)なりと
或(ある)いは十五従(よ)り 北のかた河を防ぎ
便ち四十に至りて 西のかた田を営む
去(ゆ)きし時は里正 与(ため)に頭を裹(つつ)む
帰り来たれば頭白きに 還た辺を戍(まも)る
辺庭の流血 海水と成るも
武皇辺を開く意 未だ已(や)まず
君聞かずや
漢家山東の二百州
千村万落 荊杞(けいき)を生ずるを
縦(たと)ひ健婦の鋤犂(じより)を把(と)る有るも
禾(くわ)は隴畝(ろうほ)に生じて 東西無し
況(いは)んや復(た)秦兵(しんぺい)苦戦に耐()ふるをや
駆らるること犬と鶏とに異ならず
長者問ふ有りと雖(いへど)も
役夫敢へて恨みみを申(の)べんや
且つ今年の冬の如きは
未だ関西の卒を休(や)めず
県官急に租を索(もと)むるも
租税何(いづ)くより出でん
信(まこと)に知る 男を生むは悪(あ)しく
反(かへ)つて是(こ)れ女を生むの好(よ)きを
女を生まば猶(な)ほ比隣に嫁するを得ん
男を生まば埋没して百草に随(したが)はん
君見ずや 青海の頭(ほとり)
古来白骨 人の収むる無し
新鬼は煩寃(はんゑん)し 旧鬼は哭(こく)す
天陰(くも)り雨湿(うふほ)ひて 声啾啾(しうしう)たり

<現代語訳>

兵車行 杜甫

車はとどろき、馬はいななく 
出征兵士の腰には弓と矢
父母や妻子は走って来て見送る
舞い上がるほこりに咸陽橋も(かすんで)見えない
衣にすがり、地団駄踏んで、道をさえぎって泣く
泣き声はまっすぐに(天に向かって)上り、大空の果てを突き刺す
道の傍を通り過ぎる者が、出征兵士に問えば
徴兵がしきりにあるのです、と言うばかり
ある者は十五歳から北方黄河を守り
ある者は四十歳になっても西方で屯田兵となっている
出征するとき、村長が頭を黒い布で包んでくれる
帰って来れば白髪で、また辺境を守る
遠い国境地帯、流血は(おびただしく)海となるも
漢の武帝は国土を広げる気持ちを今でも捨てない
聞いているだろう
漢の山東地方の二百州は
どこも荒れ果て茨が茂る
たとえ気丈な婦人が鋤(すき)や鍬(くわ)を取っても
稲は田畑のあぜ道に生え、東も西も分からないほど(に荒れている)
ましてや苦戦に耐える(と評判の)秦兵(長安地方の兵士)は
戦争にかり出されること、犬や鶏と変わらない
ご老人が尋ねて下さっても
出征兵士がどうして恨みを申し上げることができよう
ましてや今年の冬などは
今でも関西の土地(函谷関から西、つまり長安地方)から徴兵は続いている
県の役人が租税を出せとせいても
租税はどこから出てくるのだろう
ようやく分かったことは、男を生むのは悪いことで
いっそ女を生むのがいいと
女を生めば、まだしも隣村に嫁にやれる
男を生んだら、(屍は戦場の)雑草に埋もれてしまう
ごらんなさい 青海のほとり
古来から(戦死者の)白骨を拾い集める人はいない
亡くなったばかりの兵士の霊魂は怨みもだえ
亡くなって月日のたった兵士の霊魂は泣いている
空が曇り、雨がしとしと降るとき、(聞こえるのは)戦死者の魂がむせび泣く声



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