十八史略 「死諸葛走生仲達」 現代語訳
訳:蓬田(よもぎた)修一
<現代語訳>
死せる諸葛(しょかつ)、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす
諸葛亮(しょかつりょう)はこれまでに何度も兵を起こしたが、いずれも食糧の運搬がうまくできずに、自分の志を遂げられなかったため、(今回は)軍隊を分けて屯田させることとした。
田畑を耕す兵士は渭水のほとりの住民にまじわって暮らしたが、住民たちは安心した。
軍に不正をする兵士はいなかった(からだ)。
亮は何度も懿(い)に戦いを挑んだ。
(しかし)懿は出てこなかった。
そこで婦人が使う頭巾と服を送ることとした(=懿の臆病さを辱めようとした)。
亮の使者が懿の軍に着いた。
(すると)懿は諸葛亮の睡眠や食事の様子、仕事は忙しいのか暇なのかを聞いて、軍事のことは話題にしなかった。
使者は言った。
「諸葛公は朝早くに起き、夜中に寝て、杖で二十回打つ罪(=軽い罰)以上は自分で調べます。
食事(の量)は三、四合にもなりません。」
懿は左右の者に向けて言った。
「食事の量は少く、仕事は忙しい。
もう長くは生きられまい。」
(はたして)亮は病気になり、病状が重くなった。
(ある夜)大きな星が輝いた。
赤くて光の尾を引く星であった。
亮の陣中に墜ちた。
その後、ほどなくして亮は亡くなった。
長史(ちょうし)の楊儀(ようぎ)は軍を整え引き上げた。
土地の者が走り、そのことを懿に告げた。
懿は楊儀の軍を追った。
姜維(きょうい)は儀に、旗の向きを反対方向に変え、鼓を鳴らして、いまにも懿に(戦いのために)向かっているようにさせた。
懿は積極的には近づこうとはしなかった。
土地の者はこのために諺(ことわざ)を作ってこう言った。
「死んだ諸葛が、生きている仲達(=懿のこと。仲達は字)を走らせた。」
懿は笑いながら言った。
「わしは、生きている人間なら何をするか推測できるが、死んだ人間が何をするかは見当がつかない。」
(十八史略)
<書き下し>
死せる諸葛(しよかつ)、生ける仲達(ちゆうたつ)を走らす
亮(りやう)前者(さき)に数(しばしば)出でしが、皆(みな)運糧(うんりやう)継(つ)がず、己(おのれ)が志(こころざし)をして伸びざらしめしを以て、乃ち兵を分(わか)つて屯田(とんでん)す。
耕す者渭浜(ゐひん)居民(きよみん)の間(あひだ)に雑(まじ)はり、而(しか)も百姓(ひやくせい)安堵(あんど)す。
軍に私(わたくし)無し。
亮数懿(い)に戦(たたかひ)を挑む。
懿出でず。
乃ち遺(おく)るに巾幗(きんくわ)婦人の服を以てす。
亮の使者懿の軍に至る。
懿其の寝食及び事の煩簡(はんかん)を問うて、戎事(じゆうじ)に及ばず。
使者曰はく、
「諸葛公夙(つと)に興(お)き夜(よは)には寐(い)ね、罰(ばつ)二十以上皆親(みづか)ら覧(み)る。
噉食(たんしよく)する所は数升に至らず。」と。
懿人に告げて曰はく、
「食少く事煩(わづら)はし。
其れ能く久しからんや。」と。
亮病(やまひ)篤(あつ)し。
大星(たいせい)有り。
赤くして芒(ばう)あり。
亮の営中に墜(お)つ。
未(いま)だ幾(いくばく)ならずして亮卒(しゆつ)す。
長史(ちやうし)楊儀(やうぎ)軍を整へて還る。
百姓奔(はし)つて懿に告ぐ。
懿之を追ふ。
姜維(きやうゐ)儀をして旗を反(かへ)し鼓(つづみ)を鳴らし、将(まさ)に懿に向かはんとするが若くせしむ。
懿敢へて逼(せま)らず。
百姓之が為に諺(ことわざ)して曰はく、
「死せる諸葛、生ける仲達を走らす。」と。
懿笑つて曰はく、
「吾能く生(せい)を料(はか)れども、死を料ること能はず。」と。
(十八史略)
<漢文>
死諸葛走生仲達
亮以前者数出、皆運糧不継、使己志不伸、乃分兵屯田。
耕者雑於渭浜居民之間、而百姓安堵。
軍無私焉。
亮数挑懿戦。
懿不出。
乃遺以巾幗婦人之服。
亮使者至懿軍。
懿問其寝食及事煩簡、而不及戎事。
使者曰、
「諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覧。
所噉食不至数升。」
懿告人曰、
「食少事煩。
其能久乎。」
亮病篤。
有大星。
赤而芒。
墜亮営中。
未幾亮卒。
長史楊儀整軍還。
百姓奔告懿。
懿追之。
姜維令儀反旗鳴鼓、若将向懿。
懿不敢逼。
百姓為之諺曰、
「死諸葛、走生仲達。」
懿笑曰、
「吾能料生。不能料死。」
(十八史略)