漢文塾は、漢文を勉強する皆様を応援します。

十八史略 「死諸葛走生仲達」 現代語訳

6月 30, 2014 by kanbunjuku // コメントは受け付けていません。

LINEで送る


訳:蓬田(よもぎた)修一

<現代語訳>

死せる諸葛(しょかつ)、生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす

諸葛亮(しょかつりょう)はこれまでに何度も兵を起こしたが、いずれも食糧の運搬がうまくできずに、自分の志を遂げられなかったため、(今回は)軍隊を分けて屯田させることとした。
田畑を耕す兵士は渭水のほとりの住民にまじわって暮らしたが、住民たちは安心した。
軍に不正をする兵士はいなかった(からだ)。
亮は何度も懿(い)に戦いを挑んだ。
(しかし)懿は出てこなかった。
そこで婦人が使う頭巾と服を送ることとした(=懿の臆病さを辱めようとした)。
亮の使者が懿の軍に着いた。
(すると)懿は諸葛亮の睡眠や食事の様子、仕事は忙しいのか暇なのかを聞いて、軍事のことは話題にしなかった。
使者は言った。
「諸葛公は朝早くに起き、夜中に寝て、杖で二十回打つ罪(=軽い罰)以上は自分で調べます。
食事(の量)は三、四合にもなりません。」
懿は左右の者に向けて言った。
「食事の量は少く、仕事は忙しい。
もう長くは生きられまい。」

(はたして)亮は病気になり、病状が重くなった。
(ある夜)大きな星が輝いた。
赤くて光の尾を引く星であった。
亮の陣中に墜ちた。
その後、ほどなくして亮は亡くなった。
長史(ちょうし)の楊儀(ようぎ)は軍を整え引き上げた。
土地の者が走り、そのことを懿に告げた。
懿は楊儀の軍を追った。
姜維(きょうい)は儀に、旗の向きを反対方向に変え、鼓を鳴らして、いまにも懿に(戦いのために)向かっているようにさせた。
懿は積極的には近づこうとはしなかった。
土地の者はこのために諺(ことわざ)を作ってこう言った。
「死んだ諸葛が、生きている仲達(=懿のこと。仲達は字)を走らせた。」
懿は笑いながら言った。
「わしは、生きている人間なら何をするか推測できるが、死んだ人間が何をするかは見当がつかない。」
(十八史略)

<書き下し>

死せる諸葛(しよかつ)、生ける仲達(ちゆうたつ)を走らす

亮(りやう)前者(さき)に数(しばしば)出でしが、皆(みな)運糧(うんりやう)継(つ)がず、己(おのれ)が志(こころざし)をして伸びざらしめしを以て、乃ち兵を分(わか)つて屯田(とんでん)す。
耕す者渭浜(ゐひん)居民(きよみん)の間(あひだ)に雑(まじ)はり、而(しか)も百姓(ひやくせい)安堵(あんど)す。
軍に私(わたくし)無し。
亮数懿(い)に戦(たたかひ)を挑む。
懿出でず。
乃ち遺(おく)るに巾幗(きんくわ)婦人の服を以てす。
亮の使者懿の軍に至る。
懿其の寝食及び事の煩簡(はんかん)を問うて、戎事(じゆうじ)に及ばず。
使者曰はく、
「諸葛公夙(つと)に興(お)き夜(よは)には寐(い)ね、罰(ばつ)二十以上皆親(みづか)ら覧(み)る。
噉食(たんしよく)する所は数升に至らず。」と。
懿人に告げて曰はく、
「食少く事煩(わづら)はし。
其れ能く久しからんや。」と。

亮病(やまひ)篤(あつ)し。
大星(たいせい)有り。
赤くして芒(ばう)あり。
亮の営中に墜(お)つ。
未(いま)だ幾(いくばく)ならずして亮卒(しゆつ)す。
長史(ちやうし)楊儀(やうぎ)軍を整へて還る。
百姓奔(はし)つて懿に告ぐ。
懿之を追ふ。
姜維(きやうゐ)儀をして旗を反(かへ)し鼓(つづみ)を鳴らし、将(まさ)に懿に向かはんとするが若くせしむ。
懿敢へて逼(せま)らず。
百姓之が為に諺(ことわざ)して曰はく、
「死せる諸葛、生ける仲達を走らす。」と。
懿笑つて曰はく、
「吾能く生(せい)を料(はか)れども、死を料ること能はず。」と。
(十八史略)

<漢文>

死諸葛走生仲達

亮以前者数出、皆運糧不継、使己志不伸、乃分兵屯田。
耕者雑於渭浜居民之間、而百姓安堵。
軍無私焉。
亮数挑懿戦。
懿不出。
乃遺以巾幗婦人之服。
亮使者至懿軍。
懿問其寝食及事煩簡、而不及戎事。
使者曰、
「諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覧。
所噉食不至数升。」
懿告人曰、
「食少事煩。
其能久乎。」

亮病篤。
有大星。
赤而芒。
墜亮営中。
未幾亮卒。
長史楊儀整軍還。
百姓奔告懿。
懿追之。
姜維令儀反旗鳴鼓、若将向懿。
懿不敢逼。
百姓為之諺曰、
「死諸葛、走生仲達。」
懿笑曰、
「吾能料生。不能料死。」
(十八史略)



Comments are closed.